島暮らしのよろこび、つくり手としてのこだわり

べじべじ自然農園/有機農家

越智資行(おち・もとゆき)さん

2016.11.01

しまなみ界隈で自然農の“師”と言えばこの人、越智資行(おち・もとゆき)さん。植物や虫の気持ちを常に想像し、「自然を真ん中に」暮らすことを徹底されています。その姿に魅かれ、県外や東京からも教えを求めに来る人が後を絶ちません。

 

大阪弁でときおりジョークも飛ばす。島では通称「もとさん」。そんなもとさんが愛してやまない畑には、どのような光景が広がっているのでしょうか。

 

――先ほど採りたてのナスを生でかじらせていただきましたが、リンゴのような香りと甘さに驚きました。何か特別な育て方をされているのですか?

 

1M5A8589剪定用のはさみで手際よく皮をむく。切り口を鼻先に近づけた瞬間、
これが野菜ということが信じられないほど、甘酸っぱい香りが飛び込んでくる。

 

あはは、特別なことはしていませんよ。よく有機野菜は、虫喰いだらけとか形が不ぞろいだとか言われますが、まったくの誤解です。山の樹々だって、誰も手入れをしていないのに立派に育っていますよね。あれはなぜかと言うと、土の中の微生物や虫、小動物たちによる健全な食物連鎖が行われているからです。だから、虫が増えすぎることもないし、栄養たっぷりで根を思い切り伸ばせるふかふかの土も常に備わっているのですね。

 

――野菜も、山の樹々と同じであると?

 

はい、そうです。育つ環境さえ健全に循環していれば、野菜だって農薬を使ったり特別なことをしなくても虫はつかないし、形も整ってくる。もちろん味もよくなります。私がやっているのは、「畑を大自然と同じ環境に保ち、そこに生き物の循環をつくること」、ただそれだけです。

 

――「畑の中に自然の循環をつくる」とは、具体的に何をするのですか?

 

基本的には、受粉をしてくれたり病気を防いでくれたりする「虫」や「微生物」が生息しやすいような環境をつくります。「虫が野菜を食べてしまわないの?」と心配になるかもしれませんが、その虫を鳥が食べに来るので、虫が増えすぎることはありません。健全な食物連鎖ですね。

 

実際、私の畑では豊かな生態系が整った結果、ヒバリ、コチドリ、キジなども営巣をしに来たりするほどです。まぁ、さすがに営巣は困ってしまうときがありますが。(笑)

 

今、ビニルハウスでは、土も耕さない「不耕起」という方法を実践しているので、それをお見せしましょう。

 

――土も耕さない!?耕すのは「農業の基本」だと思っていました。

 

先ほども話した通り、山の土は誰も耕さないのにふかふかしているでしょう? あれを再現するのです。刈り取った草や野菜の残さ、果樹の枝などを畝に敷いておくと、その下が益虫(ダンゴムシやミミズなど)の住み家になります。むき出しの土と違って乾燥しないから居心地がいいし、敷き草が餌になりますからね。

 

彼らの糞(有機物)により微生物が増え、土が分解され、腐植土になっていくのです。この腐植土が堆肥になります。虫や微生物がつくってくれたふかふかの土は、常につくり続けられているので耕す必要がありません。

 

差し替え「さらに、土が『団粒化』という塊の状態になり、
スポンジのように水を吸って保水もしてくれるんですよ」と、実物を見せてくれた。

 

――「農業の概念」を覆されたような気がします。

 

これが現代の人が忘れかけている命の営みです。「自然を中心に見る」ということをやってみると、大げさではなく世界が変わって見えます。バックグラウンドを知ると、虫にも草にも動物にもすべてのものに心から感謝が湧いてきて、食べるという行為も変わってくるんですよね。

 

――そもそも、どうして農業を始めようと思われたのですか?

 

私は大阪育ちで30代まで何不自由なく電力会社に勤めていましたが、自然の繋がりからはかけ離れた生活をしていることに、何となく満たされない気持ちがありました。

 

「自然の恵みに感謝できる家族との生活」、「自然のことを純粋にたくさんの人と考えることのできる仕事」を考えたときに、まず私自身が自然相手の仕事をする必要があると感じました。その手段としてたどり着いたのが「農業」です。

 

――農業の拠点として、大三島を選んだ理由は何ですか?

 

うーん、「選んだ」のではなくて「ご先祖さまに導かれた」という方がしっくりきますね。

 

実は、視察を重ねていた当初は、就農場所を長野県か香川県で考えていたんです。安定したサラリーマン生活から抜け出して、まったく新しい職業に飛び込むということは、人生で一度あるかないかのタイミングなので、こちらも真剣でした。

 

しかし、その重要なタイミングで、父の生家である大三島の本家が「跡継ぎがいない」という理由で売りに出されたのです。

 

「これはご先祖様が、大三島に来なさいと言っているのだ」と、夫婦で感じました。そんなわけで2歳と1歳の長男次男を連れて、1998年に大三島で就農するために移住してきたのです。

 

お子さん写真

 

2000年には三男も授かりました。3人とも大三島の自然の中、のびのびと育ってくれました。現在は、長男、次男が社会人、三男は就学中です。大三島に導いてくださったご先祖様に、妻ともども感謝しています。

 

――今では、たくさんの研修生を受け入れていらっしゃいますね。やはり「自然を中心に考える」という想いを広めるためなのでしょうか?

 

当然それもありますが、彼らには「近道」をしてほしいという願いもあります。私が就農したときは、周囲の先輩に聞きながらではありますが、身近にモデルケースがなく、開墾から一人でなんとか回せるようになるまでに5年はかかりました。しかも運動場のような砂地もあって、「自然の循環」が生まれるようになるまでは本当に試行錯誤の連続でしたから。

 

――研修生を見ていて、感じることはありますか?

 

島にやってくる研修生は、「農業なんてやったことない」という子ばかり、いきなりそれで食っていこうと始めちゃうんだから、これほどバカなことはありませんよね。(笑)でも実は、こういう「脊髄反射」でモノを考えるヤツら、好きなんです。それに昔の自分を見ているようで、この先彼らがどんな道を歩んでいくのかが手に取るように分かります。だから、つい応援したくなるんですよね。

 

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出荷作業が一段落ついて、研修生の中村彬さんと冗談を飛ばしあいながらスイカにかぶりつく。
中村さんは東京でカメラの販売をしていたが、2015年、妻と大三島に移住してきた。

 

彼らと過ごしていると初心に返れますし、あと、都会で流行っているものや横文字も教われますしね。最近では、ラタ…ラタトゥイユ??どんな料理かあんまり分かっていませんが。(笑)

 

――野菜の通販以外に、もとさんの畑づくりにふれられる機会はありますか?

 

本気で農業をやりたいと思っている方は、一度「農家民宿べじべじ」に泊まりに来てください。作物を育てる側、食べる側も一緒になって、日本の農業について囲炉裏を囲んでゆっくり話しましょう。田んぼの話、ミミズの話、微生物の話、自然の色の話など、私が感じた出来事もお話しできますし、「~自然が真ん中~入門有機農業講座」という講座も行っております。詳しくは、こちらのホームページをご覧ください。

 

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